るうらのペン

どうにかレベルアップしようと試行錯誤するブログ

大人になると自分を出すのはむずかしい

高いところにあるブランコから世の中を見下ろす女の子

最近ほんとうの自分が出せない。

幼いときは今より自由に発言したり行動したりしていたはずだ。

それが長年「みんな同じでなければならない」という雰囲気の教育と社会に触れて、大人になる頃には「周りと違うとなんだかまずい、合わせよう」という基準ができる。

「そんなこともできないの?」

「言わなくても普通こうするよね」

「こういう場合はこうだよね、そんなことも気づかないの?」

と思われるのを恐れて、一般的な基準とやらを探りつつ防衛するようになる。

そして最近、自分の意見を言っているようでも、相手によってどこかキャラをつくってみたり「こういう場合は、きっとこんな感じのことを言えばいいはず」とどこかで調整が入っている気がする。

自分の主張よりも攻撃されないことを優先して、多少我慢をし、あたりさわりのない振る舞いを選ぶのが普通になる。

昔は堂々と自分を主張していたのに、攻撃され、バカにされ、笑われ、あきれられ、もう傷ついてしまって「次は傷つかないようにうまくやろう」と反省と修正をくりかえし、丸くなって他と区別がつかないようになってしまっている。

「みんな同じでなければいけない」「他と違うのはおかしい」という教育と社会のせいにしてきたけど、大人になっても自分を出せてる人も存在しているわけで、結局は自分の主張よりも攻撃されないことを優先してきた、その結果なんだなと考えるようになった。

 

そして大人になっても「自分を出せてる人」にたま会う。

変わってるなーと思う。それやると浮くのわかっててわざとなのか?…ということは目立ちたいのか?と感じる。

しかし、家に帰っても自分の中でモヤモヤが消えない。

あれ、うらやましいと思ってる?

そう、あんな風に浮くことや、目立ちたがり?と他人に思われることなんか気にせずに、自分も自由に振る舞いたいと思ってるのだ。

じゃあすればいいだけの話だな。よし、やろう。

と話は単純なのだけれど、それがどうもできない。

怖いんである。

そして、誰も見てなかったらできそうなものだけど、それが最近ひとりでもできなくなっていることに気づいた。

一番恐れているのは、もしや自分にバカにされることではないか。

「そんなこともできないの?」

「普通こうするよね」

「こういう場合はこうだよね、そんなことも気づかないの?」

と自分自身に思われることを私は気にしてる。

矛盾しているけど、いつのまにか私は自分のことを「周りと違う人をバカにする人間」だと思っているのである。

ある程度上手くできないと怖い。こういう時はこうでなければいけない。理想はこう言うべき。という「一般的な基準とやら」が長年の社会生活の中でいつのまにか自分の中に構築されているのだ。

これは怖い。むかし自分が苦手だった大人たちも、こういう過程で造られたのか。

そして今の私はあんな風な大人になってしまっているのか…。

 

かなりのリハビリが必要だ。

まずは自分を出して自由に振る舞う人を見たときに、正直にうらやましがろう。
「いいなぁ。」「そんな風にできてうらやましい!」

そして「それ違うでしょ」「大人なのに大丈夫?」と思ってしまうところを
「周りからの攻撃にも耐えて、それよりも自分の主張を大切にし続けてきた人だ」
と意識するところからはじめようと思う。