るうらのペン

どうにかレベルアップしようと試行錯誤するブログ

再び文鳥を飼うか飼わないか

子供の時、白文鳥を飼っていた。

ヒナから育てたのでとてもなついていて家族でかわいがっていた。

長女である私が一応お世話係。子供なのでまあまあ適当だ。

餌が少なくなってたり、カゴの下に敷いてある新聞が汚くなっていたりということがしょっちゅうあったと思う。そういう時は母がみかねて世話をしているという具合だった。

私が学校から帰るとき、玄関先の砂利を踏む音で私に気づきピッピッと鳴き出す。

家に入り文鳥がどんな感じで自分を待っているのか、廊下の柱の影から目だけだして確認すると、飛んだり跳ねたり鳥かごにしがみついたりして「おかえりーあそぼー」(そう思える)と必死に叫んでいる。

私はカゴから文鳥を出してやり、お菓子を食べながら一緒に遊ぶという夕方を毎日過ごしていた。お菓子の袋のガシャガシャという音にも反応して「それ、おいしいの?ちょっとちょうだい」という感じで様子を見ながら小刻みなジャンプで寄ってきたりした。

文鳥

文鳥を飼いたい

あれから20年。当然、その時のピーちゃんはもういない。

今は結婚して夫とふたりマンション暮らし。

文鳥飼いたいなぁ。

あったかくモフモフで一心不乱なピーちゃんとの日々が忘れられないんである。

ツイッターで白文鳥の動画や画像を見ては顔がにやける。こわい爪切りのあとはそうそう無になるよね…。だいたい巣に近づくとこの顔で力いっぱい怒ってくる。あー水浴びしてるよ懐かしいな。

それだけでは満足できなくなり、鳥に触れられるという鳥カフェにも行ってみた。5分500円、個室で文鳥を触れるのだ。

あー似てる。ピーちゃんとはちがうけど、ピーちゃんもこんな感じに指のささくれ噛んだなぁー。このあったかさと重み懐かしいなぁ。昼間の鳥カフェで涙ぐんだ。

文鳥を飼いたくない

実家でピーちゃんがいなくなったあと、動物を飼いたいと誰も言わなくなった。

いなくいなったときのショックがもう本当に大きいんである。

しかし、私が家を出た後も「近くの学校のインコが1羽いじめられてて」など、飼う人を探してると小鳥を持ってこられるとかわいすぎて断る理由も思いつかずもらってしまい、そういう経緯限定で実家ではその後も何羽か鳥を飼っていた。

そしてやっぱり、鳥がいなくなるたびに実家では相当なショックを受け、母は落ち込み、父は泣きながら仕事に行くという繰り返しだった。

ピーちゃんがなくなった日は忘れもしない。私が大学受験の日の朝だった。もう悲しくて悲しくて泣きながら電車に乗り、同じ受験会場に行く苦手な同級生に「犬猫だったらわかるけど鳥でそんな泣く?」などと冷ややかに笑われながらもずっとしくしくと泣いていた。(なぜか私だけ受かった。)

受験から帰ると、空の鳥カゴを私に見せまいと母が鳥カゴをすでにどこかに片付けてしまっていた。

そしてキレイな小さな箱にピーちゃんと花を入れてリボンをかけ、家族みんなでそれを庭に埋めた。

そして20年経った今も夢にときどき出てくる。

私が餌を入れ忘れて何日も家を空けてたせいで、痩せてボロボロになってるのにいつもと変わらずに「おかえりー」と寄ってくるというような夢で目が覚めたり、いろんな鳥をたくさん楽しく飼っててその中にピーちゃんもいるけど、気づけばピーちゃんだけ年老いて弱っていて、それをひたすら心配している夢だったりする。

あの感じはもう味わいたくないなぁ。

鳥カフェの5分500円触り放題に通えばいいじゃないか。

文鳥がいる生活

それにしても今の生活に文鳥がいたら楽しいだろうな。朝、文鳥の声で目が覚めるとか最高だな。

カゴを置くのはリビングの窓際だな。で、帰ってきたらきっとそこから玄関の方に「おかえりー」って叫ぶんだろうな。

こうやってブログ書いててもPCに近寄ってきてキーボードに乗って邪魔するんだろうな。

ブログを書いているPCの部屋は奥まっていてわかりにくいけど、ピッピッと鳴きながら家中探して、見つけたー!って感じで飛んできてPCの上で丸くなって眠りだして「あー、そんなとこで寝られたら作業できない!」ってなるんだろうな。

また袖に入って寝てくれるかな。パーカーのフードにも入ってほしいな。

なーんて想像をはじめると文鳥飼おうかな…と、ついついペットショップの鳥コーナーをうろついたりしてしまう。

そして、文鳥の可愛さとこの一連のあこがれの生活を夫に語ると

「そんなにほしいなら飼ったら?」

と簡単に言った。あとひと押しがほしかった私は

「え!いいの?じゃあ飼う!」

と一瞬スッキリと文鳥を飼う気持ちになった。

ところがである。

「うん、るうらがひとりで飼えよ。俺は飼わないから。」

「は?一緒に住んでるのに、俺は飼わないってどういうこと?」

「俺は文鳥に心を許さずに遠くから見守るだけにする。いなくなった時に耐えられん…」

…あぁ、やっぱりそこか。飼いたくない理由は。

そして文鳥を飼う私の決断は延期された。

文鳥を飼わないという決断はない

文鳥を飼う!という決断はいまのところできないけど、文鳥を飼わないという決断はもっとできない。

別れが辛すぎる、同じ白文鳥を飼ってもそれはピーちゃんではない、とは充分わかっていても、だからといって「もう私は一生文鳥を飼わない」ということにはならない。

ただ今はまだ飼わないだけ。

 

もし誰かが「ヒナが増えちゃって困ってる」と言ってくれたら、仕方がないなぁーと言って、すぐによろこんで引き取るかなぁ。

いやでもしかし待てよ…といつまでも考えている。