大人になって物欲が止まらないなーと思う。
高級なブランド物じゃないと気がすまない、とかそういうのじゃないんだけど、例えば同じ種類のもので3つくらいランクがあったら高確率で一番いいのを買ってしまう。
金額が数倍とか何十万するとかすぐに生活に支障がでそうなものはあきらめがつくけど、今の自分でちょっと頑張れば買えると思えるものはついつい買ってしまうのだ。
そして貯金できない。。
この現象ってなんか名前ついてるのかなぁ。とぼんやり思ってたんだけど、そもそも、なんで私はこうも「ちょっといいもの」に手を出してしまうのか。
解決はしないけどただ考えてみました。
あとそうやって買った物の紹介。
ちょっといいものを持つとちょっといい大人になった気分になる
金額が違うだけでハイブランドが好きな人と同じかなぁ。
いや、ちょっと違うなぁ。
ちょっといいモノ、例えば一般的にビーズクッションでできてるアームレストが「天然木製」だったりするとほしくなる。(買った。)
テンキーないからと短い方買ったけど、ノートPCだと腕の角度的に長い方がいい。買い直したい…TT
こういうものを持つと自分がレベルアップした感じがするのかな。
ドラクエの装備と同じだなー。
レベル低くても装備品でかなり変わる。
レベル1でもはぐれメタルの剣持ってたらそこそこ戦うの楽しい。
あといいモノを持ってると、それに似合ったちょっといい大人になれるはずとか思ってそう。笑
「いくついいモノ買えばその『ちょっといい大人』になれるの?」と自分でツッコミを入れたくなる。
モノでは何も変わらないよと頭ではわかってるんだけど。
丁寧なものに囲まれたい
世の中の理不尽なこととか、今まで受けてきた雑な扱いとか、そういうのにもう疲れてるんだろうね。
もっと丁寧に接してほしい、、、せめて物だけでも丁寧な仕事がしてあるものに囲まれていたいと願ってるんだろうな。
「職人がひとつひとつ手作りで」とか好き。買っちゃう。
このドリッパーで使用するペーパーフィルターは形がちょっと変わってて、ウェーブ型なんだけど、それがその辺のスーパーじゃなかなか売ってない。
ペーパーフィルタがなくなるたびに、それだけをネット注文。
替フィルターを買うのも、ペーパードリップでコーヒーを入れるのも面倒だな〜と思いつつなぜだかいつも楽しい。
「丁寧な扱いを受けたいならまず自分で自分を丁寧に扱うこと」と何かの本に書いてあったけど、結局自分で自分を丁寧に扱うのもむずかしくて、こうやってこだわったコーヒーを入れることでその代わりをしているのかもしれない。
あと、最近癒やされた丁寧な仕事は、イカリスーパー(関西圏にある高級スーパー)の陳列。
ラベルがきっちり全部正面向いてて見てるだけで癒やされる。(見てるだけが多い)
りんごもきっちり同じ方向を向いて整列してた。
丁寧な仕事がしてあるものはやっぱり金額が高くなるよね。
子供のとき安いものしか買ってもらえなかった反動
家が特に貧しいというわけではなく、母は専業主婦でやっていけるくらいの一般家庭なのに、みんなと同じレベルのものを買ってもらえなかった。
父親が異常に倹約家なのだ。
それで友達にいろいろ言われるし恥ずかしい思いを何度もしてきた。
小学生のときは遠足のリュックサック。
いつの時代の?というような赤いチェックにキラキラの瞳の女の子のイラストが描かれたもので、親戚か誰かの持っていたおさがりを持たされたことがあった。
あまりにも時代錯誤なので周りの友達には「なにそれ」と言われるし、それで遠足の写真に何枚も写る。
もう恥ずかしくて恥ずかしくて。
高校のときは自転車。
第一志望に合格して、みんな自転車屋でしっかりとした自転車を買ってもらってるのに「自転車屋の自転車は高い」と私の自転車はホームセンターの外で売られている安いものになった。
ブレーキをかけるたびにものすごく大きな音でキーーーッと鳴る。
そして笑われる。
るうらっていつも安物しか持ってないとからかわれる。
親に「みんなこういうものを買ってもらってるから私もそういうものがほしい」と説明しても「値段が高いだけで変わらない。」「みんなっていうけど全員じゃない」とわかってもらえない。
もし買ってもらえない理由が「家が貧しくて」というものであれば、そういうことを言う友達に「私の家の悪口を言うな。」と怒ったりもできたかもしれない。
しかし自分の感想としても「なんで私はいつも安物を与えられて恥ずかしい思いしてるんだろう」というものだったので、何も言い返せないし、悲しいし辛かった。
だから今ちょっといいモノを自分に与えてるんだな。
うん、しかたない。
自分のことは自分で癒やすしかない。
そういうわけで今買いたいちょっといいモノはエルゴヒューマン。
…最近は機能性も重視するようになってきた。笑
もちろんおしゃれなチェア専用ラグマットもセットで!!